性指向や性同一性のマイノリティの人たちが集う会にたまに行くことがあるんだけど(個人の意思というよりは呼ばれて/仕事でだけど)、正直言って本音で話せたことがない。多様性を理解しましょうとか失礼のないように配慮しましょうとか、それは確かに必要なんだけど、でも本当に理解するためには、疑問に思うことをちゃんと質問できる、というのも必要だと思う。世間ではこう言われてるけど、あれって本当なの?みたいなことが聞けない。その、"世間ではこう言われてる"ことを発言すること自体が失礼に当たる(可能性がある)らしい。まあ要するに、移民は犬を食ってるとかそういうことですよ。
しかし、その世間では言われてることが自分には当てはまるということがたまにはある。いや犬の話じゃなくて。でも、それを発言できないので、これって自分だけ?それとも他にもいる?とかがわからないままになる。自分じゃなくても、いやそういう人いるよな…という体験談もある。これも犬の話じゃないぞ。偏見だステレオタイプだいうけど、それに当てはまる人も少なからずいるんだよ。いや、全員ではないけどそこそこの人がそうだから、ステレオタイプって生まれると思うんだけど。
まあそんなわけで、そういう会に行ってもいつもうわべだけでしか話せない。個人的には、実りがほぼないと思ってる。ただのろけ話を聞いて終わる、みたいな。まあそれが目的の会もあるけど。だから自分からは行かない。
特に性的な話題は触れられない、というか忌避くらいの感じ。「性的」って言い方すら婉曲すぎると思う。要するにセックスはどうするのかとか、セックスしたい欲はあるのかとか、性器はどうするのかとかそういうこと。
自分が治療に踏み切れない理由のひとつはその心配なんだよな。性器がどう変わるのか(手術しなくてもホルモンだけで変わる)とか、その後も性行為ができるかどうかとかがすごく不安。でも誰も教えてくれないし、セックスのことは聞くなっていう空気があるから話題にも出せない。
いやだって服装とか化粧とかの話は見ればわかるじゃん。見てもわからないことが知りたいんだよ。治療すればハッピーなわけないのに、外側のキラキラしたところしか見せない・見せてもらえなくて、重要なところがわからない。
そういうわけで、知りたいのはそれじゃないんだけどなー。といつも思う。これを経験できているのはマイノリティしかいないので、だからこそ数少ない意見や経験を共有してほしいのに。自分で考えろってことなのだろうか。いや考えてわかることじゃないんだけど。自分でやれってことなのだろうか。手術を?おいおい。
同じマイノリティの友達がほしいと思うのは、そういうマジョリティの人たちは経験しないような心身の変化とか悩みに関して話がしたいから。ただの世間話だったら他の人というか今いる友人たちで間に合ってる。なのでそういうのは、むしろ求めてない。
まあ、言いたくない人もいるのはわかる。それにそんな話ばっかりなのも気が詰まる。でも伝えたい人もいるのでは?自分もむしろそうで、自分が性同一性障害だとわかって、それまで自分自身でも性同一性障害やトランスジェンダーに対して間違った認識をしてた。だから、これがそうなんだ、と改めて知った。
同様に誤解してる人もいるかもしれないから、それを解きたい。両方の意味で、的外れな配慮をしないでほしい。つまり、それはしなくていいという配慮と、これはしてほしいという配慮。だからなんでも聞いてって言ってるんだけど、聞いてくる人いないんだよねw
ちなみに自分はマジョリティのおこぼれで生きていければいいと思ってるから、権利を主張したりレインボーなんとかに参加したりはしない。その辺も人によって差がかなりある。少数者みんながレインボーパレードとか行くわけじゃないし、そっとしておいてくれという人もいる。自分もどっちかというとそっち側・・・この辺は自分の中でもあんまり整理ついてないんだけど。まあ、必要な人もいるだろうから、あればいいんじゃない、とは思うけど、積極的に参加しようという気にはなってない。
こういうのを倫理的に悪いとかなんとか言ってくる学者がマジでいるんだけど、ぶっちゃけ、それなら悪人でいいです。って感じ。そこまでして善人になりたいわけじゃないし、そのくらいで善人になれたからってなんなの?
あと当事者研究しろ的な圧力を感じる時もある。めちゃくちゃ余計なお世話。性同一性障害だからってジェンダーやフェミニズムに興味あるわけじゃないんだけど。むしろない。てか避けたい部類。ちなみに「当事者」って言葉も嫌い。言われんのも嫌い。
学問は学問で、理論は理論としてやっててくださいって感じ。話聞いてるとね、ほんと実践との接合ができなさそうな理論あるよ。でも彼らはそれをお金や名声に変えなきゃいけないから、まあ頑張ってくれって感じ。役に立つ理論と同じくらい、役に立たない理論はごまんとあるのはもう学問の性、宿命かもしれない。しょうがないよね。で、そういう理論が実践に活かされることもまずない。活かせない理論だから当然なのである。逆に言えば、何を言ってもそれが実現される心配もない。というわけで、そっちはそっちで勝手にどうぞ、と思ってる。学問ってそういうもんなんだなとわかってきました。
あとマジョリティ/マイノリティの二分法のもとでのマイノリティの人だけ集めたところで話が合わないんだよな。色んな性指向や性同一性の人たちが集まるから。言葉悪く言うと、雑多な寄せ集めになってる。自分と同じ性指向や性同一性の人と会いたい。自分と同じじゃないけど全体からするとマイノリティの人と知り合ったからって、何?って感じ。抱えてる悩みとか全然違うもん。LGBTって言葉にも表れてるけど、まずLGBとTは全く違うし、LGとBでも違うし、LとGでも違う。だからLGBTに該当するってだけで集められても、話が通じるわけではない。アジア系ってだけで集められた、日本人と中国人とフィリピン人とインド人っていう状態。なんならBやTってマイノリティの中でも嫌われてることあるしね。マジョリティは知らんのだろうけど。